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万呂王子(まろおうじ)

秋津王子を発ち、左会津川沿いに東南に進んだ北岸に、王子屋敷と呼ばれる田圃があり、ここが万呂王子(まろおうじ)の旧蹟である[10]。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「超山参丸王子」とあるが、現存地の地形や社殿の向きと一致せず、古くは違う場所にあった可能性もある[11]。江戸時代まで存続したものと見え、『和歌山県聖蹟』には万呂王子に言及した参詣記が引用されている[10]。

所在地 田辺市上万呂430-1
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三栖王子 [編集]
万呂王子を発ち、左会津川を東に渡ったところにあるのが、三栖王子(みすおうじ、またはミスズ王子〈みすずおうじ〉[12]、三栖山王子〈みすやまおうじ〉[13]とも)の旧蹟である。

『中右記』には見られず、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条に「ミス山王子」とあるのが史料上の初出で、近世には、元禄7年(1694年)付の古文書「田辺領寺社改帳」によれば影見王子(影見王寺)の名で祀られたとある[13]。しかし、熊野古道紀伊路の道筋が潮見峠越えに変化したことにより、メインルートから外れた三栖王子は荒廃したものと見られ[13]、氏神でもないため幕末頃までには荒廃した[14]。村の旧蔵文書によると、寛政4年(1792年)に大工工役三百工をもって再建したとも伝えられる[12]が、紀州藩士児玉荘左衛門が藩命により寛文3年(1663年)から翌々年にかけて領内各地の名所旧蹟を探訪したのを機に再建された[13]ものと、同じ事情によるものであったと見られる。

慶応4年(1868年)5月の水害で社地が崩壊したため、近隣の八坂神社境内に遷祀され、さらに1909年(明治42年)に八坂神社が上三栖の珠簾神社(みすじんじゃ)に合祀され、以後、同神社の境内摂社である。旧社地はミカン畑になっており、遺物と三栖山王子社跡碑は丘の上にある[14]。これらの遺物や碑は、近在の報恩寺の住職が散逸を危惧し、保存に努めたものである[12]。田辺市指定史跡(1988年(昭和63年)3月5日指定

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2009年03月18日 12:27に投稿されたエントリーのページです。

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